ゆるり家のケセラセラな日常

愛すべき好々爺となった‘ゆきちゃん(義父)’と、楽天的な私‘ゆるり’との日常。時々‘真彦(ダンナ)’‘ちい(義妹)’も登場します。

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ゆきちゃんが逝ってしまった おわり

長々と書いてきましたがこの記事で終わりです。

たくさんの感謝をわたしたちを支えてくれたみなさまに。(ほぼ私信)


「ありがとうございました」

わたしは恵まれた環境で介護生活ができました。
数々の優しさがわたしたちを包んでくれていました。

二週間のうち、いつだったかいい天気で暖かい日がありました。
ベランダにでポカポカの日差しをあびたら、たくさんの感謝があふれてきました。

近所の方々やマンションの方々の心遣いを嬉しく思い出しました。
スーパーや散歩道でも優しさに触れました。
パート先はいつも我が家の状況に配慮してくださいました。

ケアマネは楽しく話をきいてくださいました。
デイサービスで、ゆきちゃんがどうすればレクに参加できるか考えてくださいました。

P1020894.jpg

ショート施設では個別に吸引チェックシートをつくってくださいました。
たくさんの要望に応えようとがんばってくださいました。

訪問医や看護師さんは「在宅で」というわたしの目標を理解し、負担が少なく
無理のない診療をおこなってくださいました。
とくに看護師さんはいつでも電話して相談できる心強い方々でした。
薬剤師さんとは玄関先でいつも長々とおしゃべりしました。

ブログの読者のみなさん、見守ってくださってありがとうございました。
おしゃべり会のみんな、ゆきちゃんを「レビーの希望」といってくれてありがとう。
こんな結末になるとは思っていなかったです。ごめんなさい。
みなさんの生活に幸あれと祈っています。
おしゃべり会にはできるだけ参加しますので、これからもよろしくです。

親戚のみなさん、いい加減なわたしを認めてくださってありがとうございます。
正直、最初の頃は意見の相違で胃が痛くなりました。
いくつかのキツイ言葉はトラウマのようになっています(笑)
でもわたしたちが、会いに行くたびに感謝してくださるお姿に緊張が解けました。

実家。
両親が元気でいてくれることがありがたいと一番に思う。
姉夫婦と同居だからと安心してほったらかしでごめんなさい。
定期的に電話をくれて嬉しかったです。
お正月には「ゆきちゃんを連れてきちゃえばゆっくりできるでしょ」との言葉に甘え、
三人でお邪魔しましたね。
ゆきちゃんを受け入れてくれた家族みんなにありがとう。


ちい、お疲れ様でした。
実はこんなに協力してくれるとは思っていませんでした。ごめんなさい。
実子なのにキーパーソンはゆるりさんだといつも尊重してくれて助かりました。
いいたいことがあったかもしれないのに、わたしの思うようにさせてくれた。
週に2回を9年間、バスと電車で片道約2時間。
雨の日も体調が悪い日も通ってくれたおかげでパートをやめずにすみました。
旦那様にもお礼を。
ありがとう。


そして、真彦。
家事の手抜きはひどいものだったのに、さりげなく手伝ってくれて嬉しかった。
「俺は何もしていない」といつもいっていたね。
うん。わたしは家事も介護も真彦にやらせないようにしていた。
もちろん全部できるように叩き込んだけど、頼らないようにしていたんだ。
真彦がくたびれちゃったら、わたしの寄りかかるところがなくなっちゃうから。
「手伝ってほしかったら言葉で頼むから」
これがちょうどよかったの。
頼めばとんできてくれたでしょ?だから安心していたの。

会社から帰るとゆきちゃんの顔をのぞきにいっていたでしょ?
「ゆるりにしか笑わないんだ」っていじけていたのには笑った。
いえいえ、ちゃんとゆきちゃんは答えていました。

P1010575.jpg  P1020096.jpg  

P1030527.jpg  P1030023.jpg

幸せな時間だと思っていたよ。

「いつでも施設にいれていいからな」といってくれてありがとう。
「地震がきたらお父さんをおいてお前は逃げるように」といってくれてありがとう。
「何かあったら会社は休むなり早退するなりするから」といってくれてありがとう。
「ゆきちゃんは心配するな。楽しんできな」と遊びに送り出してくれてありがとう。

真彦はいつもわたしを一番に考えてくれた。
だからわたしはゆきちゃんを大切にできたんだ。

「家に帰るとホッとする」といってくれて嬉しかった。
三人で新しい生活を始めて真彦のことはいつも二の次になってしまっていたのに
それでも「我が家が一番」とまっすぐ帰ってきてくれた。

告別式を終えて自宅に帰った日の夜。
「いままでありがとう。お疲れ様」と花束をくれてありがとう。
思いがけないことで、ボロ泣きしてしまったよ。


最後に…ゆきちゃん。

幻視で黒いモヤモヤがでて襲われそうになったときに、わたしの前に立ちふさがり
「逃げろ!」と助けてくれたね。
いたずらっ子の顔して「内緒だぞ」と幻視の宝物を見せてくれたね。
「俺はどうなっちまうんだ」と私の腕の中で泣いたね。
「真彦が~~」と喧嘩するたび子供のように言いつけにきたね。
歩くときに腕を組むといつも照れていたから、おもしろかった。

「おはよう」って顔を覗き込むと目を覚ましてフフッって笑ったね。
「ギュ~~」っていいながら抱きしめるといつも迷惑そうな顔をした。
でも「好きだよ~」っていいながら抱きしめると、時々嬉しそうな照れた顔してた。
熱をだしてウンウンいっていても、おでこに手をあてて「大丈夫、大丈夫」って
呪文のように繰り返すと不思議とスヤスヤ寝てくれた。

音楽に合わせて歌ったり踊ったり、散歩に行って花を見たりわんこを触ったり、
旅行で温泉に入ってリラックスしたり、たくさんの思い出が残ったよ。


「レビーか。かっこいいな」
病名を聞いてそういっていたゆきちゃん。
わけわからんからと笑い話にしようとしていたんだよね。

大声や、暴れることは皆無。夜間に起きだすことも、昼夜逆転もほとんどなく、
幻視は自分だけと理解し、妄想も言いくるめられる程度だった。
安定しておとなしく、素直で人気者だったゆきちゃん。

ありがとう。ゆきちゃんが頑張ったおかげで楽しい生活ができました。
不安に思うことたくさんあったと思うけれど、どれほど癒してあげられたのかと
考えます。

でも…幸せな出来事がたくさんあった。
毎日笑った日々だった。

ゆきちゃん、ありがとう。ゆっくり休んでね。



たくさんのたくさんの愛情に包まれて、ゆきちゃんとの生活ができました。
めんどくさいと思うことはあっても、嫌だと思うことなく生活できたのはみなさんの
協力のおかげだと思っています。


本当に本当に

ありがとうございました

         

            P1010049.jpg 


これでゆきちゃんの話はおしまい。





追記:数日後になると思いますが、介護用品の記事を書きます。

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ゆきちゃんが逝ってしまった 棺にいれたもの

棺にいれたもの。

P1010228.jpg ガチャピンのひざかけ


P1010152.jpg わんことにゃんこ


P1020800.jpgP1010684.jpg


P1010303.jpg お気に入りのTシャツ


P1000939.jpg 伯母手作りの作務衣


P1000539.jpg お気に入りの帽子



あと車いすにつけていたお守りと旅行記念のキーホルダー複数と名札。
大好きだった明治のチョコレート。
缶コーヒーも好きだったけどそれは駄目よ。

Tシャツと帽子はゆきちゃんがもともと持っていたもの。
洋服は悩んだけれど、伯母の手作り作務衣ならみんな納得だったので。
ぬいぐるみはゆきちゃんのお供。一緒に寝ていました。動物好きだったからね。

本当はスニーカーもいれたかったんだけど、底のゴム部分が厚いので骨が汚れて
しまうかもといわれて断念。

そして、みんなゆきちゃんが大好きだったよの想いをいれました。



葬儀屋さんがドライアイスを交換しにきて、掛けてあるガチャピンやよりそうわんこや
にゃんこ、見守るようにおいてある他のぬいぐるみ、たくさんの写真や準備万端な
介護用品を見て、「温かいと感じました。愛されていたのがわかります」といって
くださいました。

気づいてくださってありがとうございます。

そう…みんなゆきちゃんが好きだった。
お茶目でいい加減で優しくて、まわりから愛される人だった。
だんだん表情が少なくなっていくゆきちゃんをみんなが笑わせようとしてくれた。
笑顔がみれたとき、特別なプレゼントをもらったような気持ちになるといわれた。

特別なプレゼントをわたしは毎日もらえた。
一日一笑。
続けてきてよかった。





ゆきちゃんが逝ってしまった 納棺から葬儀

一気に書こうと思います。

記事を読み返したら、日数が変ですね。すみません。
正確にはマンションのエレベーターに棺が入らないので、まる一週間
納棺をせずにゆきちゃんは自宅にいました。
結果的に毎日毎日声をかけてももう答えてくれないと、わたしが現実を受け止める
ためにはよかったのだと思います。


納棺は真彦とわたしとちいの3人で見守りました。
やはりポロポロと涙がこぼれました。

通夜の日の午前中にレンタルしていた介護用ベッドを引き取りに来ました。
祭壇を作る場所を確保するのに急いで片付けないといけません。

さっぱり広くなってしてしまった場所を見てまた涙。


そして通夜。

お坊様の戒名の説明でボロ泣き。
とっても素敵な、ゆきちゃんらしい戒名をいただきました。
そのあとはあまり細かいことは記憶にないのですが、なんとか終了。

おしゃべり会のみんなが来てくれました。
ありがとう。
パート先のみんなが来てくれました。
ありがとう。

スライドショーは手ごたえ十分で、みなさん数分間は足を止めて見てくださった
ようです。
真彦の会社のかたが多くきてくださるのがわかっていたので、
「こんな介護もあるんだなあ」「みんな楽しそうだ」「旅行できるんだ」という感想が
多かったと聞き、わたしとしては第一線で働く世代のみなさんに‘息子による介護’
も見て欲しかったのでよかったです。

また家族が認知症になるとみんなが不幸になるという思い込みを打破したかった。
そうではない場合もあるんだよと、自信をもっていえるから。

実際、ある方の友人は認知症の親御さんとののしり合いの日々だとか。
その方は「わたしの知っている介護と違う」と思ったといいます。
ご友人のご家庭に転機がおとずれますように。


精進落としの席にいたおしゃべり会のメンバーの顔を見たとき、大泣きしました。
そのあとゆきちゃんの顔を見てもらいました。
みんな「きれいな顔だね」といってくれました。
そう!気になっていた顔色はきれいに直され、つやつやでした。
よかった。


一夜明けて告別式。
泣きっぱなしの式でした。
正直あまり記憶ありません。

一呼吸おいて思い出の品を棺にいれ、花入れを行い、ムービーを見て、
お棺を閉じるときがきました。

「最後ですよ」との声掛けに、ゆきちゃんのおでこに自分のおでこをくっつけて
「大好きだよ」と「いってらっしゃい」と「ばいばい」をいいました。
最期の最期までゆきちゃんの顔をなでていました。

なんだかもうヨロヨロでした。
そして火葬場へ移動。

しばらくして収骨。

白い小さな器にゆきちゃんは入ってしまいました。
なんというか…終わったんだなと思いました。

解散になり最後までいてくれたbossの顔を見たとき、ボロボロと泣きました。
帰宅して抱えていた遺影をみると涙の筋がたくさんありました。

たくさんたくさん泣いた3日間でした。



2時間ほどして自宅に葬儀社の方が来て祭壇を作ってくださいました。



ゆきちゃん、お疲れ様でした。

     
おつかれさま  昨年の旅行先にて
     




ゆきちゃんが逝ってしまった 数日間

山場を越えて、今は落ち着いています。

わたしとゆきちゃんは相性がよかった。
適当でいい加減なわたしと、面倒なこと大変なことはしたくないゆきちゃん。
だから‘ゆきちゃんに合ったお世話=楽しい介護’ができたのだと思います。


葬儀までにたくさんの方が焼香に来てくれました。
cabinetさん、現ケアマネ、前ケアマネ、そしてデイサービスの方々。

胃ろうにしてからお世話になったデイサービスです。
約5年半。月曜~金曜通いました。
胃ろうの注入のため家族が毎日デイへ通ったため、職員さんとも仲良くなりました。
デイでの写真もいっぱいあります。

ゆきちゃんのお世話を始めてから撮りためた写真をパソコンで見て、
泣いたり笑ったり思い出話をしながら一緒に見ました。

メールも電話もたくさんいただきました。

ありがとうございます。



葬儀はこじんまりやることになりました。
数日後、打ち合わせにいらしたAさんは若い男性でしたがベテランさんでした。
葬儀社は格式ばった式からカジュアルな式まで対応しますというところです。
Aさんは丁寧にわたしたちの話を聞き取ってくれました。

「どのような式にしたいですか?」
そう聞かれてわたしは希望を伝えました。

「ゆきちゃんが幸せだったことを知ってもらいたい」

もちろん式そのものは普通に行います。
でも装飾などでイメージは大きく変わるそうです。

ゆきちゃんの祭壇はオレンジが基調のビタミンカラーにしました。
わたしが「ゆきちゃんのイメージカラーはオレンジ」といったので採用されました。

会場の扉の外にスクリーンを置けるというので、スライドショーをすることに。
その横は精進落としの場所でもあるので、食べながら見ることもできます。
またテーブルをだして思い出コーナーをつくり、ボードにはゆきちゃんの若いころの
写真を貼ることにしました。
焼香だけで帰られる方々に見ていただけるように。
時間のある方がスライド10枚分だけでも、時間のない方でも笑っているゆきちゃんが
目に入るようにと。

ある想いも含んでいました。

精進落としの席の近くにはアルバムを置いておきました。
写真をじっくり見たい親族のために用意しました。

そしてムービー。
棺への花入れのときに流す5分程度のものです。
誕生から今年の写真まで数枚を音楽にのせて流します。
冷静になると押し付けがましかったかもしれませんが、個人的には作ってもらって
よかったと思っています。


そんなこんなを決めたので葬儀そのものの打ち合わせは真彦がやり、わたしは
写真を整理して抜粋してスライド用、アルバム用、ムービー用と選んでいくことで
数日を過ごしました。

不思議と写真では涙がでませんでしたが、何かのスイッチが入ると泣けてきて
真彦を困らせました。

例えばアイスノンを冷凍庫からだした時。
例えばタオルをたたんでいる時。
例えば…。

ゴミ出しにいったら管理人のおばちゃんがいて、また一緒に泣いたり。

ゆきちゃんが納棺まで家にいると知って、おばちゃんはまた焼香に来てくれました。

ドライアイスを毎日かえていただき、「問題ない」とはいわれていましたが
わたしがゆきちゃんの顔をよくなでていたからか、少しづつ死化粧がはげてきて
また、少しだけ色がかわってきていました。

クーラーをガンガンかけていましたが、1週間以上です。
数日にわたって天気があまりよくなく気温が低かったのは幸いでした。
たぶんギリギリだったと思います。


そうして納棺の日を迎えました。

            
                ゆきちゃんとゆるり2 一昨年の旅行

      


ゆきちゃんが逝ってしまった その後

泣き明かした次の日。


不思議なことに、すでにゆきちゃんを失ったことは冷静に受け止めていました。
もちろん寂しくて悲しくて、そして悔しくてまだまだ泣いていましたが、
前日に、これでもかというくらい好きなだけ泣かせてくれたのがよかったようです。

わたしはゆきちゃんの傍から離れなかったそうですから。


実は夜半に数回目が覚めて、静かに横たわるゆきちゃんを見にいきました。
ゆきちゃんは穏やかできれいで微笑んでいるかのようでした。
声を殺して泣きながら、ゆきちゃんの顔をさすっていました。

何故わたしの腕に抱かれて、手を顔をさすられて旅立ってくれなかったのか。
何故たくさんの約束をやぶって、突然に逝ってしまったのか。
何故そのときに呼んでくれなかったのか。
わたしに何か足りないものがあったのか。

そのようなことをずっと考えていました。



真彦が起き、ゆるゆるとゆきちゃんとの別れの儀式までの日々が始まりました。

葬儀は菩提寺ではなく、葬祭場で行うことになっていました。
真彦は義母のとき菩提寺で葬儀を行い、地の段取りがどうのこうのとまわりに
いろいろいわれたことが、ほとほと嫌になっていたようです。

焼香してくださる人数も50名くらいだろうということで、こじんまりやることに。
ただ、葬儀場とお坊様の関係から日にちが10日後ということになりました。
納棺は早くしたほうがいいという意見もありましたが、葬儀社さん(以後Aさん)が
大丈夫ですよといってくださったので「できるなら傍に」というわたしの意見が通り
式の前日に納棺ということになりました。


マンションの管理人のおばちゃんが、話を聞きつけ焼香にきてくださいました。
ドアを開けたらすでに涙目で、その顔を見たら我慢できず一緒に泣きました。
「毎日デイへ行くのを見送っていたから…わたしが話しかけると時々何やら返事して
くれていたのよ」

その後数日にわたり、親戚が次々と来てくださり、ゆきちゃんがいい顔だと褒め、
わたしをねぎらってくださいました。


嬉しかったのは
「ゆるりさんのことが大好きだったのよ。本人がそういっていた」
という言葉でした。
さらに「ゆるりに任せておけば安心だから」と。

ゆきちゃんの親戚は
「あんないい嫁さんがきてくれて、真彦とゆきちゃんは幸せだと話していた」
「いつもゆきちゃんはピカピカで、大事にされているのがわかった」など
たくさん褒めてくださいました。


《ゆきちゃんはゆるりさんといて幸せだった》


みんながそういってくれた。
だったらいいのかな?
ゆきちゃんが端から見て‘幸せそう’に見えていたのなら、わたしの介護生活は
間違っていなかったのかな?

わたしはゆきちゃんのお世話をしていて幸せだった。
楽しかった。面白かった。
介護者と要介護者は鏡だという。
二人顔をつきあわせて笑った日々がよみがえる。

苦労らしい苦労をせず、手のかからない人だった。
最終的に終末期という段階になったら大変だろうなと、実はシュミレーションをして
いたけれど、その苦労もさせてもらえなかった。
苦労したかった。
させてほしかった。

「ゆるりさんのことが大好きだったから、苦労させたくなかったのよ」

誰かがそういってくれた。

「弱っていく自分ではなく、ニコニコと笑える姿を最後にしたかったんじゃない?」

そうかな。

「あのね、よく考えて。ゆきちゃんは‘自宅’で‘ゆるりさんの気配を感じ’ながら
 いつもの朝に眠るように逝ったの。こんな幸せなことなかなかないよ」


高齢の方がよくいう‘ピンピンコロリ’
ちょっと状況が違うかもしれないけれど、そう考えたら夜中に考えていた疑問が
たくさんの慰めの言葉に埋もれていく気がしました。

「たとえ明日死んでしまっても後悔しないよう穏やかで笑顔の日常を…」

そう思ってやってきたのです。
だったらもう答えのでない疑問はもたないことにしました。

「ゆきちゃんは絶対に幸せだった」

だからわたしは寂しくて悲しくて泣くことはあっても、後悔で苦しむことはない。
そう思えました。

         
             ゆきちゃんとゆるり 昨年の旅行先にて
        



ゆきちゃんが逝ってしまった日の記憶

ゆきちゃんの顔は穏やかでした。
ただ眠っているだけのようでした。

デイへの準備をしたあと…。

やることがなくなったわたしに大きな大きなショックが襲いました。

「ゆきちゃんが死んじゃった」

どうもあちこちに電話したようです。
記憶がさだかではありません。

8時ごろ?
訪問看護師がきて、様子の確認と聞き取りだけしていったようです。

10時ちょっと前、デイの職員さんが迎えに来て
「おはようございま~す!ご様子はいかがですか~~」と
いつも通り笑顔で元気におっしゃったのは憶えています。
なんだかおかしくて笑った気がします。
職員さんには申し訳ないことをしました。

10時ちょっと過ぎ。
医師が来て死亡確認をしていきました。
担当の医師ではなく初めての方でした。
ここは記憶がしっかりしています。

9時59分死亡と記入されました。
原因はレビー小体型認知症による誤嚥性肺炎。

「レビーでは死にませんし元気でしたけど…」というと

「はい。ただレビーは突然死というのも考えうることですしはっきりとはわかりません。
 解剖したりしないと原因はわからないでしょう。とても穏やかなお顔をしていますので、
 呼吸ができなくて窒息という感じではありません。ただ、近年は誤嚥性肺炎を繰り返して
 いましたし、遠因はレビーという病気ですから。心臓が先だと思いますがわからないので
 このように記入させてください」というようなことをいわれました。

窒息ではないという言葉は医師の慰めかもしれませんが、わたしの心の助けになりました。

いつも来てくださっていた看護師さんが「突然でびっくりしました。お元気だったのに」と
おっしゃいました。
その言葉をきいて、看護師さんにすがるようにして泣いてしまいました。



その後すぐにちぃ来てくれたことで、緊張の糸がきれたのか再び記憶があやふやに。
昼には真彦が帰宅したようです。
いつのまにかbossやたかさんも駆けつけてくれていました。


気が付くとゆきちゃんは死装束になっていて、死化粧もされていました。
わたしも儀式に参加したようですがあまり覚えていません。
ゆきちゃんがいた部屋はクーラーで冷やされていました。
祭壇?ができていて線香の香りがしました。



夕食に温かいうどんをいただいたのですが、そのぬくもりははっきりと憶えています。
なんだかとっても温かくて、ホッとしたのです。

そうそう、ちぃの旦那様も来ていてびっくりしました。
夜?葬儀屋さんもきて、なんか話をしていきました。


夜、真彦に布団に入れられました。
そして二人で泣きました。


こうして11月10日は過ぎていきました。





ゆきちゃんが逝ってしまった朝の記憶

11月9日(前日)

いつものようにデイに行き、いつものように帰宅しました。
どちらかというと目をつむっている時間が多い日でした。
けれど夕食時にはウヤウヤとおしゃべりし、寝る前にはクスクスと笑っていました。
「おやすみ。また明日ね」
「ん」


11月10日(当日)

1時半過ぎに、穏やかに寝ていたゆきちゃんの体交とパット交換をしました。
起きてしまったゆきちゃんに「起こしてごめんね」と声をかけたら
何かつぶやいたので「ごめんごめん。まだ寝ていていいよ」と
おでこを手のひらでさすって「おやすみ」というと
またスヤスヤと眠りにつきました。

4時ごろゆきちゃんの咳が小さく2,3回聞こえました。
わたしは目を覚ましたものの、咳き込んでいる様子ではなかったので
半身を起こしてゆきちゃんの寝姿だけ見て‘大丈夫’と判断し眠りにつきました。

ゆきちゃんはほとんど褥瘡の心配がないので、夜中はあまり体交しません。
咳き込んだら吸引ついでに体交とパット交換をしますが。

6時。目覚ましが鳴り起きたものの、今日はよく寝ているな~と横目で見ただけで
そばにいきませんでした。

4時と6時。このときそばにいかなかったことだけが小さな棘のように残っています。
ただ、4時のときも6時のときも‘日常’でした。

そう日常の…‘いつもの朝’でした。
6時半。主人が起きたので横にいるゆきちゃんに声をかけました。
「おはよう!」



でも、そのときゆきちゃんはすでに…。



その直後はあまり覚えていないのですが、真彦いわく「気のふれた人のようだった」と
いっていたので相当だったようです。

真彦はその日どうしても外せない仕事が午前中にあり、何度も「大丈夫か」と念を押し
出勤していきました。「お昼には帰るから」と。
わたしは納得しているので真彦を責めないでくださいね。


一人になったわたしは、ゆきちゃんをきれいにしようと立ち上がりました。

バケツのお湯を60度にしながら‘もうゆきちゃんは温度を感じないのだ’と気づき
愕然としました。

呆然とする自分を叱咤しながら、いつもより時間をかけて丁寧に身体を拭きました。
きれいな…褥瘡も痣も傷もなくきれいな身体でした。
顔も穏やかでよだれなどの汚れもなく、わずかに口が開いているだけでした。

塗り薬もボディクリームも塗りました。
いつもならくすぐったいのか笑うのに笑いません。
下着を着せるのに抵抗を全く感じません。
抱きしめても苦しい声をだしません。

ゆきちゃんの体はまだ温かかったのに、顔と手足の先は冷たくて白くて何度も何度も
こすってみましたが駄目でした。
ヒゲを剃ってリップクリームを塗り「いい男だねぇ」といつものように声をかけました。

デイにいく服を着せて爪を切って靴下を履かせ髪を整えました。


することがなくなったとき、大きな大きなショックがわたしを襲いました。






ゆきちゃんが旅立ちました

去る11月10日早朝に、ゆきちゃんが旅立ってしまいました。
あまりにも突然のことでした。

ブログを休んでいましたので、ここ数年どのように過ごしてきたのかを記せなかったことを後悔しています。
ただ、ゆきちゃんはその瞬間まで幸せで笑っていたようだと思っていただければ幸いです。
ありがとうございました。

2015年11月10日火曜日 早朝 ゆきちゃん自宅ベッドにて 永眠




                 ゆきちゃん遺影




みなさまへ
お久しぶりがこのような報告で心痛いです。
本当に突然でした。
どうしようかと思いましたが、
勝手ながら自分の心の整理のためにもあと数回記事を書きたいと思います。

尚、突然逝ってしまった衝撃は大きかったものの受け止めています。
寂しくて悲しくてまだ時折涙しておりますが、鬱々とはしておりませんのでご心配なく。

では数日かかるかもしれませんがのちほど。

ゆるり





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暖かくなりました

暖かく…というより、暑いくらいの日もありましたね。

お久しぶりです。
kuririnさん、ameさん、たかさん、コメントいただいていたのにお返事せずに
ごめんなさい。
ありがとうございました。

数か月の間
「ゆるりさん!ブログ~~~!!」
と、方方というほどでもないけど、声をかけていただいて申し訳ない気持ちには
なるものの…まあいろいろと言い訳もありまして…。




え~~まずは現状報告。
ゆきちゃん元気です。
あいかわらず…ですね。

先月発熱がありました。
なんと38.8度!

…がしかし、5日で復活。
というか、木曜の夕方に発熱37.6度程度。
夜中に38.8度マーク。
朝には38度。
訪問医に昼に来てもらって、その時点で37.8度。
抗生物質が届いた夜には37.4度。

抗生物質を投与して翌朝、37.1度。
そしてそれ以降37度以上はでず。

38度以上でたので何かあるのは間違いないけど、恐るべき回復力。
元気だし~いいか~~と火曜にはデイへ。

と、まあ…あいかわらずな我が家です。



そうそう、今年の旅行は6月になりました。
真彦が6月までに有給を使わないといけないらしくて~~。

今回は苦労することなく決定。
なぜなら、真彦が先にホテルの目星をつけていたのと、同じところで連泊に
しようと決めていたから。

お値段がいいので、ちっとばかり躊躇しましたが、今回のテーマは‘のんびり’。
移動したり観光したりをほどほどにしたら、そんなに差はないかな~って。

でも今回は2泊。
ゆきちゃんの状態が、昨年より正直落ちているので、無理せず…と。
あと夏休みはまた別ということなので、チャンスがあったら近場で探す予定。


そんなこんなで日常を送っています。




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病院で採血

昨日、ゆきちゃんの定期検診?で大学病院へ行ってきました。
本当は先月の予定でしたが、例の大雪に見舞われ、身動きできず変更。

まあ、定期検診といっても、採血と受診だけなんですけどね。


採血では看護士さん苦労の末、15分くらいかかってなんとか規定量…
(容器5.6本?)採れました(汗)


もうね、腕も伸びきらないし、こう…手をひねる動きができないからさ~。
最終的には手の甲から、じんわり~って感じで採っていただきました。
看護師さんがゆきちゃんに、やさしくちゃんと説明してくれたのは嬉しかった。

ゆきちゃんは、採血や点滴等の針をいやがったことがないので助かります。
昨日もおとなし~~くしていてくれましたが、時折ピクッと動くので用心。

だから腕を抑えながら「もう少しだよ~」「じっとして~」「がんばれ~」と
ずっと声をかけていたので、採血室で浮いていたかも…と今思ったわ。

看護師さん、最後も「時間かかっちゃってごめんなさい。痛かったでしょう?」
って、ゆきちゃんにいいながらバンソコウを貼ってくれました。

「大丈夫だよね~」って私が声をかけると「うん」ってゆきちゃんうなづいたよ。
花丸な気持ちでした。



結果がでてから受診なので1時間半ほどまって診察室へ。

おおむね問題なしとのこと。
新しいところで、少々血液が濃い?ので血栓ができやすくなりそうという注意。
気にするほどではないというけど。

「水分が足りないのでしょうか」と聞いたら
「それもあるかもね」ということなので、少し水分を増やしてみようかの~。

あとはいつものチェック。

栄養状態がちょっぴり悪い。
でもこれは以前から変化なしの数値。
自力で動き回るわけではないので、問題なしとしている。
痩せていっているわけでもないし。

すこし炎症反応がでているのが気になるところだけれど、ゆきちゃんくらいに
なると、常時かすかに肺炎状態でもおかしくないとのこと。
発熱かもしくは本人の状態がいつもの違ったら気を付けて…くらいなもん。

ま、痰(吸引回数)が以前より増えているからね。
少しづつ……なんでしょう。


とはいえ、本人は元気いっぱい。
一日…受診中も寝ずに(笑)いられたし、先生におしゃべりしているところも
みせられたし、いい感じということで。



今日から二泊三日のショートに行きました。
すごくハッキリくっきりな顔でしたが、さてさて帰宅時はどうでしょうね~~。




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ご案内

プロフィール

ゆるり

Author:ゆるり
レビー小体型認知症の義父(車いす・胃ろう・要介護5)との楽しい日々。
介護はテキトーに、お気楽にがモットー!?
カテゴリ「ゆるリ家の出来事」は「レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会」で書いていた物の中から‘日常’をまとめました。
はじめましての方は、「はじめに」をお読みいただくと、なんとな~く、状況がわかると思います。

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2011年3月までおしゃべり会ブログより

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